こんにちは。
「ごはんを炊く」という、「日常にある当たり前」を少し丁寧にする事で、幸せな人生を生み出すお手伝いをしているDonabeka高田麻由です。
今日は、私のもう一つの肩書き。ファシリテーターという仕事についてのお話を。
週末は、ファシリテーションの勉強にどっぷり浸かってきました。
体に現れる小さなシグナルから、声なき声やみないふりをしていた声を拾い上げる
語られるコンテンツの奥に並行して流れている本質にアクセスする
そこにいる人々が、自正面から向き合い、直に関係性を築くことをサポートする、、、
その場に、その人に現れる小さなシグナルや、ファシリテーターの自分の体感覚やエッセンスに感覚を研ぎ澄まして、丁寧にアクセスしていく作業。
時に、今まで触らないようにしていた世界や、未知の世界に飛び込むことも必要であり、ファシリテーター自身がしっかりグラウンディングしていることが必要。
それはそれは、本質的な時間でした。
出産のために、「仕事」としてのファシリテーションはお休みすることになりますが、ファシリテーターとして生きていきたい、と改めて思いました。
そもそも、私がファシリテーションに出会ったのは、5年前。体験学習を使いながら組織開発を行う会社への転職がきっかけ。分譲マンション管理という、HRや研修とは全く無縁の世界から、なぜか縁があり飛び込んだ組織開発・人材育成という世界。そして、ファシリテーターという仕事。
そこは、人に正面から関わる仕事であり、ファシリテーターの「在り方」がもろに、参加者に、チームに、結果に影響を与える世界で、それまでフワフワと流されるように生きてきた私には、自分の軸のなさを突きつけられる非常に厳しい時間でもありました。
何度も壁にぶつかって、泣いて、自分には向いていないと思い続け、それでも逃げずにのぞめたのは、参加者の心からの笑顔や変化に「人間の可能性」という光を見つづけられたこと。もっと。この光のために関わっていきたい。そのためにファシリテーターとして挑戦し続けたい。
逃げたい気持ちと、なぜか逃げられない、ここに関わることが自分の今世の課題(使命)であるような感覚。すっごい苦手意識あるのに。不思議です。
思えば、マンション管理の仕事も、住民の様々な声を拾い上げ、合意形成をしていくという、広い意味でのファシリテーションでした。そうか〜、、、そんなところにも布石があったのね、と。
小さな声を拾う、見て見ないふりをしていたものにアクセスする、自分が気づいていない自分に気づくことをサポートする。そして、本当に自分として生き、他人との関係性を築いていく。これって、企業研修とかだけでなくて、生きていく上でいろんなところで必要で、私ができること、やるべきことって、きっと無限大にあるんだな、って感じています。
帰りの車の中で、企業内にファシリテイティブな人材を育てていくことが本当に大切だよねという話になりました。本当にその通りだと思う。研修会社が入っている間は、うまくいく、ではなくて、企業の中で、人と直に向き合い、声を広い、大切にする文化が育まれ自組織内で循環し成長していくことが一番大切。
いずれは、企業のそういったことにも関わっていきたいな、、、
ファシリテーションというと、まだまだ「司会進行」のイメージが強いのが現実かな、とも思いますが、ものすごーく奥深く、ものすごーく本質的な人との関わりにつながるもの。
この2日間で、少しは、本質に近づけたかな。。。
きっと一生終わらない学びですが、まだまだ精進していきたいと思います。
土鍋ごはんも、私の中では、いっしょなんですよね。
自分と向き合う作業。エネルギーを自分の中に取り込み、感じる作業。
人とごはんを食べることは、関係性を築いていくこと。
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