こんにちは!高田麻由です。
土鍋ごはんの活動をしていて、コーチとして、ファシリテーターとして、
日々感じること、などを綴ります。
セミナーで感じた「自分を愛しなさい」への違和感
先日、とあるセミナーに参加してきました。
その代表のメッセージは、「自分を愛しなさい」「自分を大事にしなさい」
成功にはそれが必要不可欠です。というもの。
言いたいことは、わかります。
自分を大切にするからこそ、相手も大切にできる
自分が大切な存在である、というラベルを自分に持つからこそ、
それに沿うような行動ができる。
わかるのだけど、、、
彼の言葉の雰囲気、周りの参加者の雰囲気に、何か違和感を感じたのでした。
頑張る、を手放した時に本当に自分を愛することができるのでは?
その違和感をじぶんなりに分析してみると、こうでした。
・自分を愛するんだ!と決める(頭で)
・自分を愛しようと頑張る!(頭で)
・自分を愛していると思い込ませる(努力する)
・決めたらやる、行動に移す(自分を愛するために)
これ、、、自分を愛するっていいながら、、、じんわり自分を追い込んでいない??!
愛そうと頑張り続けた結果、どうなるのでしょう、、、
「私は自分を愛しています!」
「私は自分を大切にしています!します!」
と、打ち出していても(自分もそう信じていても)
心の奥底ってどうでしょう?
愛さなきゃ愛さなきゃ、愛してない、、、なんて気持ちは見ちゃいけない、、、って気づかないふりをしてたりしないでしょうか。
それ、本当の自分ですか?
本当に幸せですか?
って話で。
何かとても違和感を覚えてしまったのですよね。
そうではなくて、
その「頑張る」を手放して、「私、このままでいいんだ」って心から思えた時に、
初めて「自分を愛している」「自分を大切にしている」って状態になるんじゃないかな、と思うのです。
頑張る=自分を愛せる ではない
こんな風に思うのは、多分、まさに自分の実体験から。
私もつい最近まで、頑張ろう頑張ろう、ってしていたけど、すごく辛かったんですよね。
特にフリーランスになってからは、
人に認めてもらうために、実績を作らなきゃいけない、価値を提供しなくてはいけない、活躍していなければいけない、稼いでなければいけない、、、行動し続けなくてはいけない、、、って。
それができてこそ、自分は愛すべき存在だって。
行動もしていなくて、価値も出せない自分は、愛せないって。
もちろんそれって、理想の状態があるからこそ、のことで、モチベーションの元にもなる悪い感情ではないのだけれど、
価値を出せる=(から)自分を愛せる
は違うんですよね。
これだと、条件付き、で、自分を愛せる、になるの、わかります??
理想のために頑張る、のではなく、自分の価値観にたちもどる
そんな状態だった、私も、昨年、いろんなきっかけが重なって、もう「理想のために頑張る」をやめたんです。(このお話はまたいつか)
その代わりに、「本当に自分が幸せと思う時はいつか、何をしている時か、誰といる時か」「今、死んでしまったらやっていなくて後悔することは何か」を元に、行動することにしました。
例えば、私の場合は
・チームで同じ目標に向かって議論すること動くこと、仲間がいること(個人事業主でなくてもいい!笑)
・家族、が幸せであること
・子供が欲しい
が、今ものすごく大事にしたい、価値観だ、と気づいたのです。
そうしたら、今までこだわっていた「成果を出さなくては」「価値を提供しなくては」が、ふっと消えてしまいまして。
これらを感じられる日々なら、なんだっていい、どんな立場だっていい、って思うようになったのです。
今まで、一番おぞましいと思っていた、専業主婦ですら。別にそうでもいいや、って。
(専業主婦をバカにするわけでなくて、私が専業主婦だとしたら自分には価値がないって思っていたということです。仕事ができるからこそ、私には価値があるってところかな)
自分を愛する、とは、肩書きのない、すっぴんの自分も受け止めてあげられること
これまで、たくさんの学歴、経歴、給与、立場、といった鎧(肩書き)を装備しながら生きてきました。多くの皆さんにとってもそうではないかと思います。
そして、
いつしか、その鎧(装備)があること=自分であること
になっていないでしょうか。
私はそうでした。だから鎧を装備し続ける努力をしていたのです。
でも、今、その鎧を一つ一つ、脱いでいった結果(ここも、ものすごく葛藤がありました)
あれ。自分がこれでいい、と思えば、なんの鎧も肩書きもなくても、
自分は自分でいられるんだ。
今この瞬間に生きていられることが幸せなんだ
と、思うようになれたのです。
自分で自分にラベルを貼ることも大事だけれど、
そのラベルを外した時も、世間一般からの肩書きを外した時も
「これが私。わたしでいい。」と思える。
それが、本当の自分を愛する、こと、なのではないでしょうか。
終わりに 「I Love me」から「I’m OK」へ
最初に感じた違和感は、多分、
I Love me
のメッセージを強く感じてしまったからではないかと思います。
今、私が大切だなと思うのは、
I am OK
愛そう、とするのではなく、
どんな自分も受け入れられている状態。
いかがでしたでしょうか。
あくまでも上記は私の持論ですし、頑張ることや貢献して価値を提供することを否定するわけでは全くなく、もちろんそれが必要だとも思っています。
ただ、頑張り続けている人、、、には、ふと、肩の力を抜いてみるのもどうかな、と。
長文、お読みいただきありがとうございました!
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